AI時代に価値ある文章とは何なのか
- 拓 西島
- 2月1日
- 読了時間: 2分

職業上、報告書やプレゼン資料などを作る機会は多いのですが、時代の波に乗らせてもらってChat GPTをよく利用しています。とはいえ、自分の言葉でないと説明するときに詰まってしまうので文書全体を書かせることはせず、構成のアイデアを出させる程度にとどまっています。
なので、あんまり作業量が減った感じはしていません。何か良い使い方はないものかと思案しています。しかし、あまりに簡単に文書作成ができてしまうと、弊害も出てくるようです。
今日の日経に、AIで書かれたとみられる質の悪い科学論文が増加しており、査読が追い付かなくなっているというニュースが出ていました。
医学論文、13.5%にAIの痕跡「乱造」で増す誤情報リスクと査読負担(日本経済新聞)
本来、論文などの文書は公に公開されるまでに査読などのフィルターを通ることで、信頼性が高まり、そのことが次の世代の新しい研究につながっていくという側面があります。しかし、査読が追い付かず信頼性が落ちてしまっては科学技術自体の基盤が揺るぎかねません。
同じようなことが、ネット社会全体に起きていると私は感じます。流れてくる情報の真偽を確かめる間もなく、つぎからつぎへと情報が流れてくるネット社会では、情報の信頼性よりもインパクトの強さや面白さが受け入れられてしまうという現象が見られます。
これでは相互の信頼のもとに築き上げられてきた社会の基盤が揺るぎかねない状況です。だれかが正しい情報をフィルタリングしてくれることが期待できない以上、自分の情報リテラシーを高めていくしかありません。
私が最近強く心にとめているのは
「人の言っていることは8割テキトー」
ということです。いつも「ほんまかいな」と疑ってかかるくらいの方がうまくいくように思っています。




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