地下鉄は大阪を守る心臓部(昭和8年)
- 拓 西島
- 6月28日
- 読了時間: 2分

丁度一年ほど前、大阪・関西万博を訪れました。公共交通機関で会場へ向かうには大阪メトロで舞洲駅へ向かうルート1本のみでした。当時は3分に1本という過密ダイヤで多くの来場者を運んでいました。
大阪メトロは2018年に民営化されてできた鉄道会社ですが、それまでは大阪市が運営を行っていました。日本で初めての公営地下鉄として梅田-心斎橋間で、昭和8年(1933年)大阪市営地下鉄は開業しました。
とくにこの時開業した梅田、淀屋橋、本町、心斎橋の4駅は今もその構造が残るドーム状のモダンな造りで、駅ごとに異なるシャンデリアが施されていました。この造りは、当時の大阪市長、関一氏が「世界に恥じないものを作れ」という指示のもと作られたものだそうです。
この地下鉄の駅の構造は、のちの戦争で防空壕のような役割を担ったといわれています。公式な記録は残っていないものの、1945年3月の大阪空襲の際に、被害の大きかった難波・心斎橋のエリアから梅田方面に多くの避難者を運んだという証言があるそうです。
開通当時、防空壕として使われることは想定されていなかったようですが、結果として多くの命を救ったのだとしたら、「世界に恥じない」大阪の構造物が大阪市民を見捨ててはならない、と当時の人々の心に響いていたからかもしれません。
人に恥じない仕事をするということは、それだけ尊いことなのだと改めて教えてくれているようです。
参考文献
地下鉄ホームになぜシャンデリア? 大大阪の歴史映す(日本経済新聞)
学校法人履正社 理事長だより Vol.42「地下鉄が守った命」




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