秋葉原の鉄橋は震災復興のシンボル(昭和7年)
- 拓 西島
- 6月20日
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東京でプロ野球を見るといえば、東京ドームか神宮球場。いずれの球場もJRで行く場合はこの黄色い電車に乗る必要があります。この黄色い電車「総武線」と呼ばれることがありますが、実は東京ドームがある水道橋駅も神宮球場がある千駄ヶ谷駅も中央線の駅です。
実はかつて、総武線は両国駅までしか来ておらず都心には乗り入れておりませんでした。両国駅と御茶ノ水駅のあいだが開通したのは、昭和7年(1932年)のことです。
総武線が両国駅から御茶ノ水駅に向かう途中、秋葉原駅を出た後すぐにアーチ状鉄橋を渡ります。この鉄橋は地上から10m近くの高さを通り、今でもランドマーク的な存在になっています。
両国駅と御茶ノ水駅間の開通は、中央線の御茶ノ水-中野駅間の複々線化と合わせて計画されました。そしてのちに今のように総武線が中央線に乗り入れることとなります。
これらの計画は、9年前(1923年)に起きた関東大震災の復興事業として行われており、この計画により東京の近代化が大きく進んだといわれています。
関東大震災においては木造家屋の火災や、橋の消失による避難路の寸断によって多くの犠牲者を生んでしまいました。その反省をもとに復興事業においては建物の鉄筋化や橋の強靭化などの技術が取り入れられたそうです。
秋葉原の鉄橋も、タイドアーチ形式という当時の鉄道橋として初めての技術が採用されました。最新技術が使われているからこそ復興のシンボルと化し、いまでもランドマーク的な存在であり続けているのでしょう。
参考文献
神田における鉄道の発達(三井住友トラスト不動産)
関東大震災100年特設ページ(東京都)
歴史的鋼橋: A2-004 松住町架道橋(JSCE 公益社団法人 土木学会)




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