交通は競争か統合か(昭和19年)
- 拓 西島
- 8月13日
- 読了時間: 2分

私が鉄道好きになったきっかけは、母の実家が阪急沿線にありあのマルーン色の上品な電車に乗ることが夏休みの楽しい思い出に直結していたからだと思っています。そして、関西はバラエティに富んだ私鉄が走っており、並走するJRと熾烈な競争を繰り広げています。
関西の私鉄、いや日本の私鉄で一番営業距離が長いのが近畿日本鉄道、いわゆる近鉄です。この近畿日本鉄道という会社が生まれたのが昭和19年(1944年)の6月のこと。いまの近鉄の路線を管轄していた関西急行鉄道と、南海電鉄の前身の南海鉄道が合併する形で生まれました。
このころは戦時体制で、物資や兵員の輸送を円滑にすすめるべく鉄道会社の統合が推し進められていきました。阪急電鉄も昭和18年(1943年)京阪電鉄との統合によって京阪神急行となり、今のように京都・大阪・神戸を結ぶ形となりました。
鉄道の統合は、戦争末期に多く行われたわけですが、昭和13年(1938年)に成立した陸上交通事業調整法がそのベースになっているともいわれています。
この法律は、主に都市部に乱立した交通事業者が過当な競争によって疲弊してしまうのを防ぎ、健全な交通事業の健全な発展を保つために成立しました。この法律は実は今も存在しているのですが、実質的な効力は失われています。
ただ現在は、この法律成立以前のように自由に運輸事業を始められるわけではなく、地域の利便性や安全性を考慮して国が許認可を与える形となっています。
翻って現在、人口減少が進む地方においてはとくに、競争はおろか交通網の維持すら厳しい状況になっています。第3セクターや地方自治体が交通インフラを支えるケースもありますが、これから先も持続可能であるかは不透明感が否めません。
交通事業の自由競争が国によって制限されてからおよそ1世紀が経とうとしていますが、ライドシェアなど交通事業の規制緩和も含め考えるタイミングが来ているのかもしれません。




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