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価格破壊が正義だった時代(昭和32年)

執筆者の写真: 拓 西島
拓 西島
9月27日
読了時間: 2分

高度経済成長の入り口とはいったいどんな世の中だったのでしょうか。


昭和32年時点では、日本の人口は9,000万人強。人口ピラミッドは文字通りピラミッド状で、終戦直後に生まれたベビーブーマーがちょうど小学校高学年に差し掛かり、社会全体は少しずつ豊かになりながらも食べ盛りの子どもを抱えた家庭は家計をやりくりしながらなんとか暮らしていたのでは、と想像します。


そんな世の中に生まれたのがその後、あらゆるものに価格破壊を起こしたといわれるスーパーのダイエーです。当時の社名は大栄薬品工業株式会社。大阪市旭区の千林商店街に「主婦の店・ダイエー」として開店しました。


創始者である中内功氏は、当初、医薬品や化粧品などの商品を大量に仕入れできるだけ消費者に安く売るという業態で成長し、その後、数々のプライベートブランドを開発し、ナショナルブランドに価格で対抗する手法で、やがて総合スーパーの全国チェーンへと成長していきました。


しかし、その後バブル経済が崩壊した時に、借入金を主とする資金調達が仇となってイオンの傘下へと下ることになります。コンビニエンスストアやディスカウントストアといった新たな業態との競争に敗れたのもその一因です。


小売業は、低価格で成長しその規模が大きくなると、小回りが利かない組織となり、やがて他の業態にシェアを奪われるという「小売りの環」理論が有名です。


翻って人口減少局面に入り高齢化が進む現代の日本では、特に都市部で「まいばすけっと」のような小型店舗が増えてきています。販売している商品も小口化し、価格もそれほど安いというわけではありません。移動が困難になった高齢者への利便性を優先した結果と言えます。


車社会の地方においては、いまだに街道沿いの大型ショッピングセンターがまだまだ健在ですが、住宅付近まで小型トラックで小口の商品を移動販売をする業態も増えてきています。世界的な物価高も相まって、安売りだけが強いという時代は終わりを迎えているのかもしれません。


参考文献

株式会社ダイエー 沿革

The 社史ーダイエーの歴史

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