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幻の万国博覧会(昭和15年)

  • 執筆者の写真: 拓 西島
    拓 西島
  • 8月4日
  • 読了時間: 2分

飛行機で山口から東京へ向かうとき左側の窓側の席を取ると、天気がよければ昨年の大阪関西万博の会場であった舞洲を見ることができます。会期中はくっきりと見えていた大屋根リングが、今は一部しか残されていないのも上空から見ることができます。


実は、日本で初めて開催される万国博覧会は昭和15年(1940年)に東京・横浜を会場として行われるはずでした。皇紀2600年を記念した行事ということもあり、膨大な予算を投じて行われる予定でした。


しかし、国際博覧会条約の規約上の問題に加え、日中戦争の長期化により時局に配慮して万博中止論が高まり、昭和13年(1938年)に延期が決定されました。


なお、中止ではなく延期であったため、このとき販売されていた前売り券が、その後の大阪万博(昭和45年)、愛・地球博(平成17年)、大阪関西万博(令和7年)でも有効とされました。


ちなみに、隅田川にかかる勝鬨橋はこの万博のために架けられた橋でいわば幻の万博レガシーと言えます。もし、このとき東京・横浜で万国博覧会が行われていたらもっと多くのレガシーが残され、街並みも違ったものになっていたかもしれません。


参考文献

外務省外交史料館 特別展示「外交史料に見る日本万国博覧会への道」 万博条約と昭和の万博計画

青羽古書店 1940年に開催予定だった「幻の東京・横浜万博」、海外向け紹介パンフレット


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