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技術革新がつないだトンネル(昭和9年)

  • 執筆者の写真: 拓 西島
    拓 西島
  • 7月11日
  • 読了時間: 2分

今回、実家に寄った後に大阪に向かったため久しぶりに東海道新幹線に乗りました。ただ昨日飲んだビールで二日酔いになってしまい新横浜で乗車後すぐに意識を失い、目が覚めて景色を見たら真っ暗、青函トンネルができるまで日本一の長さだったといわれた新丹那トンネルの中でした。


「新」とついているのは、在来線である東海道本線の方に先に「丹那トンネル」が開通していたから。この丹那トンネルは熱海駅~函南駅間に通じる約8kmの長いトンネルで、昭和9年(1934年)に開通しました。


着工したのが大正7年(1918年)で、当初は7年間で開通する計画だったようですが、湧き水に悩まされ15年以上もの歳月をかけることとなりました。掘削当初は、すべて人力で掘り進めていたということで牛や馬を駆使して土砂を運び出していたそうです。


その後、電化が進み関通時には削岩機で掘り進めていたというから工事開始時と終了時で全く異なる掘削風景であったことが伺われます。それだけ様々な技術を駆使して開通が望まれていたということなのでしょう。


このトンネルが開通したことにより、国府津から箱根の山を北へ迂回していた東海道本線が、現在の熱海ー三島を直通するルートになり東西日本の人流・物流の大動脈へと発展していきます。


まさに、執念と技術革新がつないだトンネルがその後の日本の発展を支えたといってよいでしょう。

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