街頭テレビと大衆化社会(昭和29年)

少し前の話となりますが、今年はワールドカップイヤーでした。今大会は午前中に試合が組まれることが多かったこともあり、ほぼ全試合自宅での観戦でしたが、以前は会社の同僚を誘ってスポーツバーで観戦したりもしていました。やはりスポーツは大人数で応援した方が盛り上がるものです。
日本でのパブリックビューイングの先駆けといえるスポーツ中継が開催されたのが、昭和29年(1954年)に行われた日本初の国際プロレス大会です。「力道山・木村政彦-シャープ兄弟」の一戦は日本中を熱狂の渦に巻き込みました。
パブリックビューイングといっても、そもそも一般家庭ではテレビ受像機はほとんど普及しておらず、人々は街頭テレビで放送を視聴していました。それでも新橋駅前などではこのテレビ中継には2万にもの人が集まったというから驚きです。
街頭テレビなどというものは、今の世の中ではほとんど見ることがなくなりましたが、この仕組みを始めたのは、日本テレビの創始者である正力松太郎でした。日本テレビと言えば、日本最初の民放テレビ局であり、その収入源はスポンサーからの広告によるものでした。
しかし、受像機の普及が伸び悩みにより広告収入を主とするビジネスモデルは暗礁に乗り上げかけており、それを打開するために思いついたのが、街中にテレビを設置するというアイデアだったようです。
一方で、このような正力松太郎の努力によりテレビ放送は一部の富裕層の物ではなく、大衆の中で楽しまれるものへと浸透していくことになりました。大衆が文化を創り出し、大衆が世論を形成する時代の幕開けと言えます。
いまや、大衆のメディアはインターネットやSNSと移行しつつあります。テレビによる大衆化が昭和という時代を形作っていたとするなら、令和の時代はネットが作り上げていくのだろうと想像できます。その世の中が明るいものであることを願うばかりです。
参考文献
東京新聞 <スポーツ探偵>力道山×生中継70年 テレビの未来を拓いたプロレス
ビデオリサーチ てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「正力松太郎」篇




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